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FAKE



■ 森監督15年ぶりの新作「FAKE」。いやードキュメンタリーとしては異例の大ヒットですよね。
ユーロ上映としては「ゆきゆきて神軍」以来!なんていう勇ましい声も聞こえてきたり。

佐村河内さんを追ったドキュメンタリーという形になっているが、彼の耳が実際聞こえるどうか、彼に実際作曲能力があるのかどうか、そんな事は映画の本筋じゃないんだなーと分かる。

それだけに、素材として使われてしまった佐村河内さんの心中いかばかりか、なんて思ったり、
ドキュメンタリーってよくよく業の深い仕事だなと遠い目をしてみたり。

「FAKE」を観終わると、その足で誰かとその話をしたくなる、というのが定説で、それはとても良い映画の見方だなーと思う。
楽しいですよね、映画のことをぐるぐる考えて、好きな人とぐるぐる話すの。

だからリピーターが次々生まれるんだろうなと思う。「次はあの人と観に行こう」「あの人はどういう意見を言うんだろう?」っていう。

佐村河内さんの奥さん、
猫、
どこかの「誰か」の間取りに似てる佐村河内家の間取り、
連れタバコ、
名前に「さん」を付ける守さん、
豆乳、
ハンバーグ、
両親、
被爆者手帳、
取材を申し込む共同テレビDのギラギラした目つき、
必ず出るケーキ、
新垣さんのサイン会、
神本さんの表彰式、
消火器、
売ってしまったというキーボード、
カタコト記者の鋭い質問、
左手の包帯はなぜ?

どこまで行っても、どこまで顕微鏡的拡大をしても、怪しくぼやけたグラデーションが広がるばかり。




■ 森さんの作品はいつだって迷ってるのが持ち味だ。
Aもエスパーもオカルトも下山も死刑もそう。
森さん自身どこにも座れず、落ち着かず心許せず安心できず、
誰の意見もちょっと分かるが、ちょっと分からない。
立ったままウロウロと挙動不審に迷ってる。その姿が良い。思わずそこに自分を投影してしまう。

だからカメラの視点が定まらない。変な構図ばっかりだ。日本ドキュメンタリーの巨匠、原一男さんも「森監督はカメラが下手」とはっきり仰られてた。

何でって森さん自身がいつだって迷ってるからだ。構図のセンスとかじゃないと思う。森さんが迷ってるからだと思う。




■ 物理学者、ルネ・ブロンロは1903年に未知の放射線「N線」を発見したと主張した。

科学界は新発見に盛り上がったが、実はそんな放射線はこの世に存在しなかった。

眼球の中の光を受け取るシステム、桿体(かんたい)細胞と錐体(すいたい)細胞の特性からくる、光の感受性の違いから感じたまぼろしの光源をブロンロは誤解した。

薄暗い空間の中で、視界のはしに映る光らしきものを「N線だ!」と勘違いした。

すでに高名な科学者だったブロンロの主張を聞いて、幾人かの科学者は「確かに見える!」と褒めたてた。

幾人かは「どうしても見えない」と疑問の目を向けた。

STAP細胞の小保方さんそっくりだなーと思う。

幾度かの追試を経てブロンロの「N線」は存在しない事が証明された。

でもブロンロは死ぬまで「N線」の存在を信じていた。

嘘をついていたのか?
いやーこれを嘘とは言わないだろ、と思う。だって実際見えてしまったんだから。

じゃあSTAP細胞は嘘なのか?欺いたのか?
「STAP細胞はありまぁす!」が揶揄されてたけど、実際この目で見てしまったらそう言ってしまう気持ちも分かる。

じゃあブロンロと小保方さんは完全にシロなのか?
どこかで「これ怪しいかも?」と不安が頭をよぎることはなかった?
何かにフタをして隠して無い事にするなんて、そんなこと1ミリも考えたことが無い?




■ 多分はっきりとした境界があるわけじゃないんだろう。
ここを踏み越えたら「嘘」になる、なんていう線なんかない。

もやもやしてて、もやもやしてるからこそ、悲劇だし、滑稽だし、そのもやもやを言い当てようとして「FAKE」を観ては飲みにいってぺちゃぺちゃ盛り上がってしまうんだろうなーと思うわけです。














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[ 2016/08/06 18:46 ] オススメ | TB(-) | CM(-)

どんな状態を平和っていうんでしょうか

■ 相手からの核の反撃が可能である場合、先制核攻撃することに利益はない。
つまり、互いを確実に滅ぼせるだけの均衡した核攻撃力を持つ2国間において、核戦争を含む戦争は発生しない。というのが「相互確証破壊」の基本的なところ。
映画「ビューティフル・マインド」に登場するジョン・ナッシュ教授が研究してた「ゲーム理論」の代表例としても知られてる。

暴力的な才能が全く無いひとにとって、最終的に世界は暴力でコントロールされているというのは陰鬱な気分になる。自分もいつか暴力によるコントロール下に置かれるのだろう、あるいは今現在すでに、などと。

確かに知力で立ち向かえる部分もあるだろう。だけどそれは一線を越えられない。映画「ブラックホークダウン」撮影時のインタビューで俳優のユアン・マクレガーは軍隊のことを「無制限の暴力機能の発露」と呼んでいた。「ペンは剣より」という言葉がその強大な力を示す究極的な真実なんだとしたら、シリアのアレッポに落とされたクラスター爆弾との間にある圧倒的な力の差はなんだろう。ペンの力は発展途上ということなのか。そうは思えない。

一方で、
核による「相互確証破壊」が示す「無制限の暴力によってのみ平和が成り立つ」世界は暗鬱かもしれないが一つのゴールなのでは、とも思う。

ひとつの答えであり、平和な世界の成立であり、未来であり、現実的な解決策であり、有史以前、人間が人間と呼ばれる以前から、幾多の血みどろ臓物まみれの戦闘を乗り越え、アウストラロピテクスを殺戮し、アファール猿人を殺戮し、ネアンデルタール人を殺戮し、あらゆるライバルを、仲間を大量に殺し続けた挙げ句にようやくたどり着いた勝利の境地、ひとつの知恵、人類の叡智なんじゃないかとも思う。

米国の大統領が広島を訪問し、核無き世界を訴える。

はて、核がなくなると世界は平和になるんだろうか。

核爆弾という圧倒的な攻撃力を知った人間が、最初からそれはなかったこととして世界をやり直すことが出来るのか。

たとえば冷戦という、力と恐怖による支配がなくなった後、世界で、特に東欧やスラブの国々で何が起こったのか。細分化された小さな恐怖が、世界中で何を引き起こしているのか。

あるいは、
地球上すべての国が、すべての国をお互い滅ぼせるだけの核ミサイルを持つ。
米ロが持つデッド・ハンドのような、こちらが先制核攻撃で滅亡したとしても、自動で報復攻撃を行う装置を世界中が完備する。
約束するのは核を無くすことではなく、「その攻撃力がなにを引き起こすのか、その因果を正しく理解した」ことに世界中がサインする。現在の北朝鮮のように「俺キレるとまじワケわかんなくなっから」的な外交カードは使わないことを約束する。

仮にそういった状況が成り立ったとしたら、その世界のことを皆なんと表現するのか。愚かな世界だが、人間はいつだってこの先もその程度には愚かだろうし、知恵というものは一見、愚かに見えるものだと思う。




■ ちょっと違う話だが、
2011年の東北震災で被害を受けた、南三陸防災センターの津波遺構、これを保存するのかどうか激しく議論があった。見せ物にしていいのか、いや原爆ドームと同じ文化的な価値があるのだ、等々。

日本人はどういう答えを出したか。

20年間、2031年までの判断「保留」。
宮城県が維持費を負担し、2031年に再び解体か保存かを議論する。

弱腰な逃げの一手に見えるが、これも人類の叡智の一つ。

保留にして時間をおくことで、空高く巻き上がった感情は澱となり積み重なり本当に大事なことだけが整然と層を成す。その時になって初めて正しい判断が出来る、ということが人間の生活の中にはある。

原爆ドーム(広島県産業奨励館)も被爆当時は取り壊しを望む声が多かった。米国ももちろん自国の戦争犯罪の証拠を早く消し去ることを望んだ。しかし当時の広島市はまず「保留」することを選択し、結果的に世界遺産にも選定された現在の状況に至っている。

長崎のもっとも象徴的な被爆遺構・浦上教会がいち早く取り壊されてしまったことと比べると、大きな差がある。

8/9の原爆炸裂の瞬間、浦上教会でミサを行っていた信徒たち、司教たちは全員死亡した。キリスト教徒が同じキリスト教徒の頭上に原爆を落とした事実が、ガレキと化した「教会」として今も形に残っていたら、広島とはまた違ったインパクトを世界に与えていただろうと思う。




■ まったく関係ないが、
「ゲーム理論」を提唱したのはフォン・ノイマン。
マンハッタン計画に参加してた「あの」フォン・ノイマンだ。
彼は、長崎に落とされた原爆「ファットマン」に採用された爆縮レンズを開発した。この技術は核融合反応が必要な水爆の開発にも役立っている。また、原爆は地上より空中で爆発させたほうが効果があることを導き出し、広島・長崎の被害を最大化させた。










[ 2016/05/28 12:50 ] 何かすっきりしない疑問 | TB(-) | CM(-)

読了本パンチライン


「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」/佐々木健一
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:『三省堂国語辞典』を作ったケンボー先生。
『新明解国語辞典』を作った山田先生。
知られざる二人の編纂者の友情と決別。

:助手として鬱屈とした思いを発酵させ続けた一本気な堅物、山田先生。
トップに立っていたからこその鷹揚さをもち、自身の探究心とともに"言葉の砂漠"に沈んでいったケンボー先生。

:唐突に行われる山田先生の離反、そして家族だけにしか見せられなかったケンボー先生の憤怒。

:辞書の中の「語釈」「用例」を通し、二人のライバルの心中が語られる。
【実に】の用例「助手の職にあること実に十七年〔=驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている」
版を重ねるごとに語釈、用例は変化し、2人の編纂者の心が変わっていく様が読み取れる。

:『言葉にあるのは「変化」であり「乱れ」ではない。言葉の問題は自分の見識を基準にして考えちゃいけない。つまり「俺の日本語は正しい日本語だ」という立場でものを言っちゃいけない。「そんな言い方はしない」と頭から断定してはいけない』ケンボー先生








[ 2016/04/14 11:37 ] 読了本パンチライン | TB(-) | CM(-)



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