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西野カナ「RED」を聴く

■ 「RED」といってピンと来るのは、第2期キング・クリムゾン終焉の記録、バンドが空中分解する瞬間の焼けた鉄塊のような爆発寸前の緊張感を録音したプログレッシブ・ロックの名盤中の名盤、キング・クリムゾン74年のアルバム「RED」だが、そのアルバムタイトルをそのまま堂々と冠したことでも知られるのが、西野カナのシングルベストアルバム「RED」だ。

10代女子の気持ちだの恋心だのを代弁してる?とか?どう?とか?
西野カナについてのイメージ自体があまりないが、たまたま見かけたこの歌詞に強い衝撃を受けた。


SUNDAY 起きたらMONDAY


砂漠のような歌詞だ。
国道16号線のような。
種田山頭火のような。
一体そこに何が埋まっているのか。
早速アルバムを入手し、全15曲を聴いてみる。




■ いくつか歌詞を拾ってみる。


だって私A型だし やっぱり安全が第一


恋愛なら直球勝負 みんなはそう言うけれど 元も子もない 
砕けるための恋じゃないんだし どうせなら あなたの彼女になりたい



たまにケンカしても たまにしか言わないi love you一つで yeah we'll be airight
泣き虫で 淋しがりやで めんどくさい私だけど ずっとよろしくね



恋に年の差は関係ないなら 子ども扱いするのはずるい
i love you 初めてみせた素顔も 全部君だけのもの 誰にもあげないの
i love you 本当は四六時中でもずっと君のそばにいたいから yeah いつまでも



明日にはもっと私らしく
wanna be my self
信じているから



意外である。

予想していたような、まっすぐな道で寂しい感じがまるで無い。
なんというのか、
保守的な印象だ。それもかなり強めの。

15曲の世界観をざっとまとめると、
「自分」は小さくて弱くてワガママで泣き虫で淋しがり屋な女性。
そして、年長で、不器用だが誠実な男性の庇護を求めている。

金曜日にはワンピースと素敵なハイヒールでnobody stop me いつだってpartyだが、
仕事も遊びも100%。
つまり基本的には真面目。
突出した事を嫌う控えめな私。
キラキラした物語のゴールは「結婚」。
「結婚」以降の世界は存在しない。
ビューティフルデイ=美しい日とはつまり「晴れ」のこと。明日はきっと晴れ。
泣くのを繰り返せば明日はきっと強くなれる。
強くなれば本当の自分になれる。

一文にするなら「弱く従順な女性が年長の男性と結婚し、自己実現する」ということになる。




■ 人類史のなかに女系社会というのも確かに存在しているのだが(今もしている)、圧倒的に多いのはやはり男系社会だ。
父方居住を行い、家名は男が継ぐ。花嫁代価があり、一夫一妻または一夫多妻制をとることが多い。
宗教的または文化的に、女性を威嚇したり、隔離したり、男性優位に導く風習が多い。

サウジアラビアの映画「少女は自転車に乗って」には、主人公の女の子がファミリーツリーのなかに"なぜ自分の名前は書かれていないのか?"に異議を唱えるシーンが描かれている。
かの国では女の子は自転車に乗ってはいけないし、もちろん映画を監督するなんて事も許されない。
この映画を撮った監督は女性なんだが、撮影中はロケ車に身を隠して、こっそり演出しながら完成にこぎつけたという。


マーヴィン・ハリスの「ヒトはなぜヒトを食べたか」によると、
この男系社会の背景には、人類が長きに渡って行ってきた「人口抑制の計略」があるという。

人口というものは食料生産に問題が無ければ常に増加する傾向にある。
増加した人口は資源の枯渇を生む。
資源が枯渇するほど増えてしまった人口は減らす必要が出てくる。
どうするか?

戦争をはじめる。
しかし戦争だけでは1世代の男子しか減らせない。

人口抑制に一番効果的なのは、女児を殺す事だ。
集団の産児数は成人男性の数ではなく、成人女性の数によって形成される。

10人の男と1人の女が居る場合、当然年に1人しか子どもは産めないし、連続して産むには限界がある。
対して、
10人の女と1人の男の場合は、常に女性が妊娠、出産し続けている、という状態があり得る。

であれば、一定数の女児を残してあとは岩に叩き付けて殺してしまえば良い。
そうはいっても、
子どもを殺すのには大きなストレスがかかる。
それを回避するために人類が生み出したのが、数々の「女性差別の風習」だ。

女性は弱く、浅薄で、頭が悪く、役立たずで、男より立場が低い。

しかもそれは宗教的、歴史的にそう定義されている「事実だ」、とすればその文化的強制力から、
女性差別、虐待、育児放棄する際のストレスが軽減される。
大義名分を得て、大手をふって女を岩に叩き付けて殺せる。

つまり、女性への抑圧、差別と、
資源の枯渇という現象は強く結びついてると言える。




■ 西野カナが描きだす「従順な女像」の背景に女性への抑圧を見、
西野カナと、この土地の資源の枯渇を結びつける、というのは穿ち過ぎというものだろうか。

都市生活者である自分にとって、土地的な資源(海産物や穀物、植物、獣肉など)と自分の生活は直接結びついていない。
生活の資源となるのは属している会社組織からの給与ということになる。
少子化だと言われてもいまの賃金状況ではおいそれと子どもを作るわけにはいかない、という感覚は身近にある。

永続的な技術革新を続けない限り破綻する、というドグマを抱えた資本主義社会は常に高速回転し続ける。
その資本主義の限界を感じるような低成長の時代、今以上に人口を増やせない、増やすわけにはいかないという心理的圧迫。
その背景にある、出産を減らすための女性への抑圧。

少子化がどれだけ叫ばれても改善の方向に進まないのは、政府の無策だけが原因ではなかろう。

まだこの土地には人が多い、
という生物としてのストレートな欲求が現れているのではないだろうか。

1.44という出生率に。
そして西野カナの歌詞世界に。












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[ 2017/08/13 16:57 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)

オバケが怖い

■ オバケって怖いじゃないですか。
小学生時分、「ご飯よ」と一階のママから声をかけられた夕方、暗くなり始めた二階の廊下を歩き始めると、必ず背後からガイコツのオバケが襲ってきました。

ガイコツのオバケ。

書いてみると全然怖くないですけどね。涙が噴き出すほどだったんですよ、当時はマジで。

あれはどんな感覚だったのかと、
いま自宅の深夜、廊下でひとり電気を消してぼーっと立ってみたりするわけですが、怖くない。
真っ暗闇のなかで、更に真っ暗な廊下の隅っこなんかをじーっと、じーっと眺めたりするんだけど、怖くない。

出てこない。ガイコツも何も。
どこにいってもオバケには会えなくなってしまった。




■ 柳澤佳子『われわれはなぜ死ぬのか』によると、
「人々は死体の腐敗解体の過程に"亡霊"を見る」のだそう。

腐りゆく死体に結びついた不吉な亡霊が、生き残ったものを悩ます。
その根底には人間の持つ「死骸の腐敗解体に対する恐怖」がある。

アデノシン三リン酸が分解され死後硬直を起こした後、
腸内の細菌は繁殖し、肌に緑色の斑点が現れ、筋肉が腐敗していく。
臓器は融解し、頭蓋、胸郭、骨盤内をどろどろの液体で満たす。
肝臓が約三週間、心臓は5ヶ月ほどで消滅する。
タンパク質はアミノ酸やアンモニア、硝酸などに分解され、
炭水化物はアルコールやケトン、有機酸に分解され地中に染み込んでいく。
脂肪は低級脂肪酸に分解されて悪臭を放ち、
成人の死体で約5立方メートルほどの量の腐敗ガスを放ち、すべては分解されていく。

フランスの社会学者エドガール・モランによれば、
死の恐怖は「死者を個別のものとして認識しているからこそ生まれる」という。
つまり死んだ人間が腐って崩れて形を成さなくなっていく過程で、その人が持つ「個性」も崩れ落ち、何者でもなくなっていく。
その様子に恐怖を感じるのだそうだ。

つまりオバケは、
主体と客体の区別が曖昧になった、
自分と他人、自分と世界の区別がつかなくなった時、場所に現れる、というわけだ。




■ 中学1年生の頃に読んだ『刑務所の中のリタ・ヘイワース』『ゴールデンボーイ』があまりに面白くて、スティーヴン・キングのファンになったんだけど、あとがきを読んでたら「自分自身はオバケが怖い、苦手」とキング本人がコメントしてた。

ホラーの帝王なんだからもう夜ごと血みどろの妄想にふけって、近所の猫を捕まえてはバラバラにしてまた繋ぎあわせる、とかだろうと思ってたので意外に思った。

本人曰く「ベッドから手や足が出てたりするとオバケに触られそうで、暑くても苦しくても絶対手足を外に出さなかった」のだそう。

「オバケに触られる」怖さってすごく良く分かるんだけど、触れるくらいまで近くにきたオバケはなぜ布団の中には入ってこないんだろう。取り憑いて殺したい、無くした右手を返してほしいっていうなら、布団を剥いででも襲ってくると思うんだけど、オバケはそうはしない。

これはやはりベッドが自分の拡大版、主体の象徴だからなんじゃなかろうか。
主体がはっきりしている世界にはオバケは生まれない。
主体がちょっと曖昧になる場所、
つまりベッドの端とか、ベッドの下とか、少しだけ領域を離れてしまった場所、
自分と世界の間にある境界、やはりそこにこそオバケは頻出するということだろう。




■ 前掲の『われわれはなぜ死ぬのか』によると、
・「3〜4才の子供にとって死を認識するのは難しく、眠ってる、もしくは別の所に出かけていると考える」
・「5〜9才になると、死ねば生き返る事は無く、生きるものはすべて死ぬ運命にあると分かるようになる。しかし自分もその運命にあるとは考えない」
・「10才以上になると死は自分の身にも起こりうる事と知り、自分なりの死生観を探そうとする」
のだそう。

自分のみしか存在しない完全な世界が、cfosやCREBと呼ばれるある種のタンパク質、長期記憶遺伝子の発現とともに生まれた「意識」によって整理されていき、完全だった世界のなかに徐々に「他人」が生まれてくる。

「他人」を合わせ鏡とした「自分」という存在が徐々に確立し、アイデンティティが生まれ、彼我の区別があらゆるシーンではっきりしてくる。

この成長とともに、主体と客体の間にある境界の世界、オバケの住処は徐々失われていく。



■ と、すると、
例えばロックドイン症候群のように、自分の身体の中に自分が閉じ込められて、他者と関係を築く事がかなり難しい状況にある人のオバケとの関係はどういったものなんだろうか。ロックドイン症候群ではない僕と比べて、オバケに接触する機会は多いのか少ないのか?

例えば四十、五十にもなってオバケを見る人は「自他の区別がついていない、社会性の少ない人」という見方が成り立つのか?

例えば「自分だけの世界」の力が極端に強い人、例えばソシオパス、サイコパスといった激しく利己的な特性をもった人間とオバケの関係はどういったもの?

などなど、
オバケへの興味はなかなか尽きない。

最近現れなくなったからといって、
存在が消えたわけではないんだなと思う。
もしかして、自分の死が近づいてくる年齢になったらまた見えるようになるのかもしれない。









[ 2017/07/01 10:30 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)

赤ん坊的な人

■ 昨年から赤ん坊的な人が家にいてアレなんだけどなかなか無い機会なんで手足の所作など眺めながら、どこに行き着くともない考えをぽつぽつとめぐらせてしまうのです。

『日本の歴史を読み直す』の網野善彦先生によれば、「非人」「穢多」という言葉が文献に登場するのは12〜13世紀以降だそう。

あまり知られていないことだけど、この「被差別的な身分」の人々が世間からネガティブな視線で見られるようになるのは江戸時代以降。

江戸以前まではどうだったかというと、ケガレに関わる仕事、つまり牛馬の扱いやその死体の処理、人々の葬送、墓守、罪人の処刑、などに従事しながらも「聖」の存在であったという。

つまり、人々に畏れられていたケガレを清めることができる特殊な能力をもつとされた人々であり、一般の世のヒエラルキーには属さない、「神仏の直属の部下」、
つまり人と神の境界にある、あわいの存在が「非人」や「穢多」だったのではないかという。

彼らの呼び名というのがまた面白くて、誰も彼もに「丸」がつく、「童子」がつく。例えば国末丸、吉光丸、牛飼童、八瀬童子などなど。

「丸」も「童子」も童名、つまり子供につける呼び名だ。童名を呼び名に入れる風習は他にもあって、例えば光進丸とか、鬼切丸とか、船舶の名前、武具甲冑につける名前、あとは笙(しょう)や篳篥(ひちりき)といった楽器の呼び名などに使われる事が多い。

これは童という存在が、人と神の境界に位置し、特殊な力を持っているからではないかと。命を賭した戦場で使う武具や、一寸先は闇の海で、あるいは神々との交信機材としての楽器に、あわいの存在の力を頼ったのではないかと。

まして同じくあわいの存在である「非人」たちが童の名を冠し、その力にあやかるというのはしっくりとくる話だ。




■ うちの赤ん坊的な人に目を移せば、大きなオムツをまとってM字に足を開き、両の手を万歳よろしくばーんと上げて地蔵のような面構えで無心に寝ている。かと思えばふいに目を開けてエヘアハ笑っている。神々しく感じようと思えば思えなくもないが、どちらかといえば阿呆のような顔に思える。しかし阿呆の神聖というものもあるのか。キリスト教にも「聖痴愚」という思想が割と根底の部分にある。

ブッダ爆誕前のインドではバラモン教がメインストリームだったわけだけど、ブラフマン(宇宙的究極真理)にアートマン(自分)がどれだけ近づけるかの勝負であり、それには苦行有るのみ、眠らない食べない体中に針を刺してアートマンを痛めつけて意識朦朧となればなるほどブラフマンに近づけると信じられていた。

「いつ」「どこに」「誰が」という見当識の3座標を失えば神の領域に近づけるというか、ちょっとドラッギーな世界に感じる。言ってみれば大人的な見識をすべて失って赤ん坊状態に戻ることを目的にしているように思う。あるいは「死」に近づけば近づくほど真理に近づく、ということか。バッドトリップ信仰ともいえる。

一方ブッダはバラモン教の絶対真理であるブラフマンは存在しないとして、すべては相対的で抽象的な「空」であるとした。相手がいるから私がいる。私がいるから相手がいる。どちらかがいなくなれば、どちらもいなくなる存在。

ブッダはバラモン教を否定したのかと言えばそうではなく、発展させたのかなと思う。
アインシュタインの相対性理論が、古典力学であるニュートン力学の発展形であるのと同じく。



■ 宗教学者の岸本英夫は自らが不治の病であると知ったときに著書『死を見つめる心』で自身の心を内をこんなふうに分析した。

「死の問題をつきつめて考えていって、それが〈この、今、意識している自分〉が消滅することを意味するのだと気がついたときに、人間は、愕然とする。これは恐ろしい。何よりも恐ろしいことである。身の毛がよだつほど恐ろしい」

赤ん坊的な人がヨダレをまき散らしながら体を回転させようとしている。この人に一体「自分」という意識はどこまであるのか。
自分と他人、自分と世界。境目のはっきりしないあわいの世界で、怖くて怖くて身をよじるのか。




■ 山内昶さんの「タブーの謎を解く」によると、
人類学者のターナーが境界(リーメン)論のなかで主張するには「境界性(リミナリティ)は、死や子宮、不可視なもの、暗黒、両性具有、荒野、日月の蝕に象徴される」とのこと。

境界は神聖であると同時に危険なものであり、忌避すべき「汚穢」でもある。

畳の縁は踏むなと言われるし、「誰そ彼」時や「彼は誰」時には神隠しに会うという。
水生動物と陸上動物の間に位置する動物には誰もが不気味な印象を持ち、
固体と液体の中間、ぐちゃぐちゃドロドロしたものは世界中の誰もが嫌悪感を持つ。

子を産んだ後の胎盤=胞衣(えな)は忌避すべきものとして決められた場所に埋めなければならなかった。
中央アルプスにある百名山の一つ、恵那山(えなさん)には天照大神の胞衣(えな)が納められたとして信仰の対象になっている。

tomb (墓)とwomb (子宮)は語学的にも文化的にも強い関連がある。
エジプトのピラミッドしかり、世界の権力者の多くは死からの再生を願って「子宮」に見立てた「墓」に埋葬された。



■ 古代の狩猟採集民は新しい野営地に着くと、まず一本の棒を地面につきたてたという。そうすることではじめてカオスから抜け出て、上と下、右と左といった世界の区別をつけることができる。

古事記によればイザナギとイザナミは混沌に棒を突っ込んでかき混ぜ、したたり落ちたしずくで島をつくることで国を生んだ。

うちの赤ん坊的な人はどのようにして境界の世界から抜け出すのか。
それは一体いつどのようにして起こる出来事なのか。
AIが「意識」を持つ瞬間も同じ現象が起きるんだろうか。



■ キューブリックの「2001年宇宙の旅」では人工知能の死ぬ瞬間が克明に描かれていて、これは「プライベート・ライアン」の後半で、ドイツ兵にナイフを胸に突き立てられて「ちょっと待って待ってタンマまずいまずいヤダやめて」とかのたうち回っているうちに、身動きとれないまますごーく"ゆっくりと"刺し殺されるシーンを思い出します。あれの何倍か怖いわけだけど。

かたや続編の「2010年」では人工知能・HAL9000を再起動して甦らせるってシーンがあるんだけど、「もしや今度は"生の瞬間"を劇的に描いてくれるのでは…?」とか期待してたら、
「やあ、どうしました?」
とか普通に目覚めちゃって、なんだかなあと思いました。
まあアレはアレでHALがすごく可愛く撮れてるHAL好き悶絶映画に仕上がってるんで、別モノとして面白いなあとは思いましたけど。















[ 2017/04/16 11:55 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)

!!! SPECIAL EFFECT !!!

se1.jpg
■ 3/12(土)、僕はお客さんとして遊びに行くだけですが、何せ馴染み深いスペシャルなメンツ。MOOさん&テツオに加えて10年以上も青山LOOPで一緒にやってきたニームラがDJ。三者三様、三人とも僕は昔から大っ好きなDJたちです。人柄どうこうではなく、その音楽が好きです。いや人柄も好きですよ。でもかける曲のクオリティとかね、サービス精神とか、いやほんとサービス精神って大事だなと思うんですよDJにおいて。だってかけたい曲だけかけられたってイヤじゃないですか。どんだけ詳しくたって。聴きたい曲、聴きたい気分があるじゃないですか。

前にニームラと、DJやってるときの心持ちはどんななんだみたいな話してたら彼、「まあ水商売だから」て言ってて、僕この言葉すごく好きなんだけど、なんか「表現者としてどうこう」とか「音楽のパワーをどうこう」とか言われるよりよっぽど胸に落ちますよ。
水商売とホテルマンとツアコンはサービス業の極致ですよ。水商売だからこそ、ねえ?お客さんに喜んでもらう事が神髄でしょうよ。サービス精神でしょうよ、それがプロってもんでしょうよ。いやニームラが実際どんなつもりで言ったのかは知りませんけどね。

一方VJ、ではなくVisual Installationがこれまた長い付き合いつうか盟友というのか、大阪・天王寺の鬼っ子、最近ますます怪しい東京弁に磨きがかかってきたTajifことタジフ。もう15、6年の付き合いになるのかしら。げー長えなー。
プロジェクション・マッピングに昔ながらのビデオミックステイストをまぶした感じの映像投影演出は唸るものがあるので、3人のDJとどう混ざり込んでいくのか楽しみ楽しみ。
しかし、彼にはオシャレな感じでアーバンな感じでPCとか操作して欲しくない。中目黒感出してんじゃねえよと思う。昨日ちょうど伊藤大輔の「王将」観たとこなんで、ぜひ阪田三吉スタイルでプレイしてほしい。都会の絵の具に染まらないで、染まらないでほしい。

先日もMOOさんのDJ聴きにSHeLTeRお邪魔したんですが、とにかく音質が素晴らしくてびっくり。
最近なかなかこういう体験ってできない。贅沢な事です。
事後、こないだSHeLTeR行ってきてさーなんて話しをしてたら、「あすこアンプが温まってきた深夜以降の音、いいよね」みたいなことを誰かに言われ。しかし深夜より先にこっちが温まりすぎてたんで正直その違いを判別できてない、覚えてない。が、
「お、おう。だよな」
とか答えてやりましたよ僕ぁ。ざまあみろですよ。
今回はその辺の音の変化も楽しめたらなと思うわけですよ。


!!! SPECIAL EFFECT !!!
~視覚と音楽の相互作用を実験する宴~
@八王子SHeLTeR

OPEN : 22:00
CHARGE : 2000 / 1D 
W/F : 1500 / 1D

Visual Installation :
Tajif (FORTE / VIDEOGRAM)

Music :
NEEMURA (The Oath)
TETSUO WATANABE (Jamkaret)
MOO (CONSCIOUSNESS)

[八王子SHeLTeR]
東京都八王子市八日町1-1 NKビルB1F
http://www.at-shelter.com/









[ 2016/03/10 14:37 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)

ディスコって言うしかないんだよ

martian.jpg

■ 主人公が火星からの脱出シュミレーションの計算用に、新単位「パイレーツ・ニンジャ」を考案するというエピソードを聞いて、なんつうデタラメな話し!って事で読みはじめた「火星の人」。世界的ベストセラーなんで今更あれですがすごく面白い。

火星への有人飛行が可能になった近未来が舞台なんだけど、ドキュメンタリーかってくらいの緻密さ。
リドリー・スコット×マット・デイモンの超大作映画「オデッセイ」の原作でもあります。

なんでも作者ご本人はこの作品がお金になるなんてトンと考えてなかったらしく、
ブログで無料アップ→人気が出たのでamazonの電子書籍にアップ。amazonの規約で無料はNGなので最低金額の99セントに設定→爆発的人気になって一気に3万DL→書籍化。
という「ロッキー」1stのスタローンみたいなアメドリ感も映画みたいでグッとくる話し。

でもなんだか不思議に思った点があり。

それは置き去りにされるワトニーがディスコミュージック嫌いというエピソード。
話しとして面白いし、全編通して出てくる大事な性格だからその設定自体がどうこうってわけじゃないんだけど…

そもそもアメリカ人にとってディスコってどんなイメージが一般的なんでしょう?

古くさくてダッサい?suckだぜって感じ?
少なくとも「火星の人」でのディスコイメージはそうだ。

僕なんかディスコっていうと例えばロフトクラシックスとしても知られる

だったりして、
えええーかっこいいじゃんよー!って感じなんだが。



■ 先日なじみのDJ、てっちゃんがシンガポール&インドネシアに行ってきたとかでお土産話しを聞いてたんだが、なんでも現地のレコード屋に行ったら店の親父がすげー色々聞いてくるらしく。
どっから来たんだ、いつまでいるんだ、どんなの聴くんだ、等々。

適当にあしらおうとするんだが、何探してんだってもうシツコくてたまらん。うるせーなーと思いつつ「ディスコを探してる」と答えると、

ディスコ!ディスコなんか聴くのかお前スーパーだせえ!そんな奴初めて見た!ってもう顔面破裂すんじゃねえかって勢いで爆笑されたとか。

じゃあ俺はどうやってレコードを探せば良いんだとてっちゃん、友人のレコードショップ経営者に「こういった場合、ディスコってジャンルの他の言い方はあるのか」と質問すると彼、

「ディスコって言うしかないんだよ…」

と、ぽつり寂しく漏らしたという。




■ 1979年頃、アメリカでは「ディスコ・サックス」というキャンペーンがあったんだとか。シカゴのロック専門ラジオ局が始めたもので、野球のグラウンドに火葬用の薪で山を作り、そこにディスコのレコードを積み上げ、「ディスコはダサい!」と叫びながら火をつけて、最後は爆破したという。

大雑把だよねアメリカ人。




■ 余談だが映画「オデッセイ」、劇場で観終わったあと席を立つと隣から
「これ砂漠でずっと撮ってりゃ良いんだから超予算少なくね?」
というカップルの会話が聞こえてきた。

昔「star guiter」のMV見てたら友人が「よくこんなロケ地見つけてきたなー」て言ってたのを思い出した。

まじか。








[ 2016/03/04 18:04 ] 雑記 | TB(-) | CM(-)
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