俺の裡〈うち〉で鳴り止まない詩

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「…金が ないんです…」
― 丸井善男/ミスター味っ子Ⅱ第1巻「強力うどん」より



味皇料理会イタリア料理部主任、丸井善男がホームレスにまで身を落としているらしい。

その噂を聞いたのはいつだったか、
ともかく、陽一のいなくなった日乃出食堂に突然現れた男の、みすぼらしく薄汚れた風体、自信を喪い痩せこけた目。
彼の姿を目撃したとき、
読者は思わずコマのはしばしに、法子の姿を、陽一の母の姿を探した。法子は男の落ちぶれ方を一体どう受け止めるのか。

下町の包宰と讃えられた天才料理人・味吉隆男と死に別れた法子。
まだ若すぎる未亡人に、新たな誘いが無かったわけではなかろう。
事実、連載当時から邪推は飛び交っていた。
イタリア料理部主任、丸井との噂だ。

味皇グランプリの世話人などとしても日乃出食堂を訪れる機会の多かった丸井。
法子との距離がもっとも縮まったのは、第8巻の九州シリーズの時だ。中江兵太との鍋、そしてその後のソバ、ケーキと続く一連の対決。陽一の九州滞在は実に一週間と長引いた。
そのピンチヒッターとして、日乃出食堂の厨房に立ったのが丸井だ。

下町の大衆食堂の目の回る忙しさ。

ホールを走り回る法子の肌に浮かんでくる汗と、厨房の丸井との間に交わされる視線。

入り口のガラス戸から差し込んでくる日の光の角度は浅く、細く、弱くなり、あっという間に時計の針は回っていく。わずかな休憩時間に何か言葉をかけようか、どんな言葉がふさわしいのか、二人はただ黙ってお茶を飲む。

のれんをしまい、そそくさと帰ろうとする丸井に、法子は店のサーバーから注いだ冷たいビールをすすめたのかもしれない。

今日の話しやこないだの話し、夢の話しや現実の話しをしたのかもしれない。出来ることや出来ないこと、色々。

1988年の冬のこと。
まだ若い二人に、一週間という時間は長かったのか、短かったのか。




大方の下衆な想像もその気持ちは分かるがしかし、僕はこの2人の間にはプラトニックなものしかなかっただろうと読む。

丸井の表情にいつも何処か浮かんでいる沈んだ色。何処か重たい目の表情。

2人の間に気持ちが通わなかったとは言わない。むしろその逆だろう。でも、手に入れなければ美しいものは美しいものであり続ける。そこに丸井の影がある。最後には冷たい布団の待つ独りの部屋に帰ることを選ぶ丸井がいる。




16年後の再会、ホームレス状態からイタリアンちゃんぽんを開発し、なんとか体の調子も戻した丸井の前に現れた法子。

「男振りが上がって素敵ですわ、丸井さん」

お互い年齢を重ねた。
女の心に何がよぎるのか。

「そうでしょう。そうでしょうとも」
軽く答える男の笑顔は、胸の内の秘密の部屋を隠そうとするぎこちない笑いに見える。
でもそのぎこちなさは同時に、この上ない幸せの表情にも見えるのだ。









[ 2016/01/31 17:41 ] 味っ子 | TB(-) | CM(-)

俺の裡〈うち〉で鳴り止まない詩

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「これだ これこそ おれのさがしていた ものなんだ」
― 味吉陽一/第8巻「決め手はふぐ!?」より



年が明けた。盆暮れ正月というのはいいものだ。風邪で寝込むのと同じで、天から与えられたリセットのための休日のようだ。大発明だと思う。

さて陽一はといえば、九州の天才料理人、中江兵太との鍋対決を目前に工夫に奔走しているところ。
調理素材を探し、味皇と共にあてどもなく厳寒の山中を彷徨っていたところ、絵描き風の父娘に出会う。「何をしているのか」と尋ねれば春夏秋冬1枚ずつ描き、目前の野原を4枚の連作にするのだという。そこは一面に野生の百合が咲きほこる大変に美しい場所だという。

「今は凍てついた大地の下に、百合の息吹はまだ眠ったままです。だが春が過ぎ夏を迎える時、この場所は咲き乱れる百合の花園です!その眠れる命の息吹を!私はこの絵に描きたいんですよ!」

画家である父親は意気込みにあふれる力強い言葉と眼差しで、陽一と味皇に熱く語りかける。
娘は春の一面の百合畑を思い描いてクルクルと踊りだす。

優しい風景。

しかし、
陽一だけは彼らの言葉に反応せず、いきなり百合の野原の大地を掘り起こし始める。

そして百合の根を、土の中からほじくり出し、引きちぎり、血のようにも見える黒い土にまみれた両手に、百合の花の胎児でもある球根を持って言うのだ。

「これだ これこそ おれのさがしていた ものなんだ」





『サイコパス 秘められた能力』を著した心理学者、ケヴィン・ダットンによれば反社会的精神病質者のおもな特徴は「極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義」だという。

春の百合の花を楽しみにしている父娘の目の前で、あっけらかんと球根を引きずり出すこの中学生は一体なんなのか。

公開中の映画『ゴーン・ガール』にも、"あ、この人はダメだ。完全に心が壊れてる"という目の表情を、登場人物が見せるシーンがいくつか出てくる。ゾッとする。
ゾッとすると同時にそのシチュエーションに惹かれている自分も認められる。
「壊れてる」こと自体が"力"でもあるからだ。「壊れる」ことが出来るのもひとつの才能だからだ。

ケヴィン・ダットンの調査によれば、サイコパスが多い上位10位の職業は下記のとおりだという。

会社経営者
弁護士
TVやラジオのジャーナリスト
小売業者
外科医
新聞記者
警察官
聖職者
軍人

そして、
コック。











[ 2015/01/20 13:04 ] 味っ子 | TB(-) | CM(-)

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「くくく!!」
― 弁当屋「おいかわ」店主 及川/第5巻「乗客はどちらに?」より




青森で駅弁の店を経営する「菊池屋」。
しかしホームの向かいに出来た新たな弁当屋「おいかわ」のせいで店はすっかり閑古鳥。一日5個もさばけない日があるという。
「店をたたむ潮時かと思いましてね」そうもらす菊池屋の旦那を前に、父・味吉隆男の代から菊池と馴染みの陽一は、助太刀を申し出る。

「父さんの思い出の駅弁を復活させてみるんだ!」

かくして青森駅弁対決、陽一率いる「菊池屋」vs「おいかわ」の火蓋が落とされる。





IS(イスラム国)は首を切るから悪なのか。間違っているのか。
ではアメリカがRQ-1で裁判にもかけてない人間を殺戮するのは正義なのか。善なる行為なのか。

善と悪を分けたのは何なのか。三つ揃いのスーツは善で、トーブシュマーグはテロリストなのか。

「おいかわ」の店長は笑う。くくく。
ライトは顔の下からあたり、意地悪そうに眉と口角は歪む。
それは悪人として必要な記号。

では「おいかわ」の店長はどんな悪事を働いたのか?
朝早く起きて旅行客のためにたくさんの弁当を仕込み、自信作が出来た。トンカツ、鮭の照り焼き、香の物、ごはん、すべてにおいて隙は無し、工夫を凝らし試行錯誤を繰り返した挙げ句ようやく完成した自慢の弁当、とっておきのご馳走。きっとまた評判になるぞ、お客さんの笑顔が沢山見られる、思わずこぼれた会心の笑み、「くくく」。

ではその間「菊池屋」の親父は何をやっていた?
今までどおりの味を継承していた?ひたすら無思考に、日々の反省、研鑽無く?
客の心が離れていったのは何より本人が分かっていた事だろう。
ではなぜそれを放っておいた?
悪化する事態を目にしながら、工夫のひとつも考えなかったのは誰だ?
そのスキマに新進気鋭のアイディアマン、及川が入り込んだのは悪か?
誰がそのことを責められる?

既得権益を否定する笑い。
秩序を維持するためだけの、形骸化した規範への嘲笑。
「人のための法」から「法のための人」へ変わってしまう悲しさを笑う。

そこに及川の笑い、「くくく」はある。
善とはなにか、悪とはなにか。
そこに答えは無く、ただあるのは"善悪の彼岸"を超える笑い。挑戦者の笑い。力強い革新者の笑い。




しかしすべては味吉陽一の才能のもとに駆逐される。

物語の終わり、
客の全ては「菊池屋」の弁当を買い占め、「おいかわ」の店の前に客はゼロ。
"ガラーン"というオノマトペだけが吹きすさぶ。

「菊池屋」は勝った。きっとそうなのだろう。
しかしそれは味吉陽一という飛び道具が勝利しただけの話。
しばしの時間を経れば菊池の旦那はまた同じ道を歩むだろう。
工夫の無い、陽一の味を繰り返すだけの生活。
そこにまた第二、第三の「おいかわ」が入り込んでくるだろう。

アメリカはISにJDAM誘導弾を撃ち込む。ISはもしかして滅びるのかもしれない。
しかしそれはアメリカのギミックが勝っているだけなのだ。
アメリカのイデオロギーが勝利したわけではない。









[ 2014/11/01 15:44 ] 味っ子 | TB(-) | CM(-)

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「これは…タレ!!すっごくおいしいタレだわ!!」
― 味吉法子/第5巻「タレは中から」より





うらぶれたバーカウンターの隅にワケあり風のアベックが座っている。
真っ黒なサングラスをかけた男の身のこなしからはひっそりとした暴力の匂いが立ち上る。

カウンターの向こうのバーテンに、男が言う。
「めしをくれ」

「?」
怪訝な顔を見せるバーテン。
男の隣にすわる情婦風の女がすかさず口をはさむ。
「ライスのことよ」

白飯にエクスタシーを感じる殺し屋が活躍するアクション怪作、
「殺しの烙印」の名台詞の一つだ。

"ライスのことよ"って説明されたところで一体どうすれば、という。
このキュートでスタイリッシュな間抜けさはどういうわけだ。

例えばジム・ジャームッシュの映画全般に流れる空気もそういうことなのかもしれない。

スタイリッシュ間抜け。

黄金比のようにクールで完璧なカタにはめ込んではいるが、
わざと画竜点睛を欠くことで間抜けさとキュートさが生まれる。その味わいがクセになる。

そう思えば鈴木清順の「殺しの烙印」へのオマージュとして
ジャームッシュが「ゴースト・ドッグ」を作ったのも当然の流れということか。





老舗の天ぷら屋「天星」のガンコ親父との対決。
陽一は足りない技術を補うべく、特大かき揚げ丼で勝負することに決めた。

しかし特大なだけにかき揚げの中までタレが染み込まない。
陽一が苦心のすえ編み出した奇策、それはタレを寒天で固めサイコロ状に切り分け、
かき揚げのタネに混ぜ込む、というものだった。

黒く小さなサイコロを目の前に
陽一の母、法子は「何なのこの四角の黒い固まりは!?」と訝しげ。

「食べてみてよ」という陽一の促しに
ぽいと口に投げ入れるや驚愕の表情で放つセリフが今回の言葉。

「すっごくおいしいタレ」

一体何なのだろう、この間抜けさは。なんのひねりもない。なんの説明もない。
だのにこんなに愛らしい。
なぜだ。キュートだ。箱庭に入れて愛でていたいのだ。

「すっごくおいしいタレ」

天才たちの仕事は常に呼応しあう。

鈴木清順-ジム・ジャームッシュ-ミスター味っ子

なんと美しい間抜けトライアングルか。









[ 2013/12/28 14:19 ] 味っ子 | TB(-) | CM(-)

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「本当に料理の好きな人なら あんなことは…決してできないはずなんだ!!」
― 味吉陽一/第16巻「骨のハンバーグ」より





人間の脳はでか過ぎる。
その大きさに準じて自我もでかい。

はっきり言って、こんなでかい脳いらない。

でかくなりすぎた自我で、今度は自分が潰れはじめる。
だからどこか見えない所に、こいつを置いてこなきゃならない。

自分の事を棚に上げる腕力。
いかに美しく素早いレイアップで棚に上げるか。

これが生きる技術として必要となる。




TVで活躍する料理評論家、倉田道明。
ある日陽一がブラウン管に見たものは、
「ダァメだこりゃあ!食えたもんじゃねえや!!」
と料理人の作った一皿をテーブルごとひっくり返す、傍若無人な彼の姿だった。

怒りを燃やす陽一。

料理への愛。
その技術、工夫への尊敬。
食材に対する気持ち。
何より食べてくれる人々への思い。

「本当に料理の好きな人なら あんなことは…決してできないはずなんだ!!」

しかしこの陽一の言葉に、
さしたる裏づけが無い事を、俺たちは痛いほど知っている。

パイナップル製のカレー皿を作るため、くりぬいた実をすべてゴミ箱に叩き捨てた陽一。

わが子を思う女性料理研究家、江川洋子の料理道具に対する、
「あはーっ!料理は腕で決まるもんじゃなかったの?」
という嘲り。高笑い。

そして男のプライドを賭け工夫を凝らした料理を一口も食べぬまま、「おいそんなクソみたいなもんより俺の料理を食えよ」と言わんばかりの高平謙への残酷過ぎる仕打ち。




陽一が間違っているのか?

唾棄されるべき罪悪なのか?





いやそうじゃない。

俺たちはこのようにしか生きられないのだ。
誰かを傷つけてでしか。

だったら謝るな。
だったら弁解するな。
だれも君のことを顧みない。
あるいは君に石を投げる。

だからこそ君はそれを受け入れる。
それこそ君が選んだ道だから。
君が腕力で棚に上げて、言いたいことを言い切った結果だから。

血を流せばいい。
もがき続ければいい。

楽をするために生まれてきたのでは無い。









[ 2013/11/19 14:12 ] 味っ子 | TB(-) | CM(-)