前前前世のやつのこと

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■ 1920年代からドイツで活躍してた映画評論家で(映画社会学者なんていかめしい肩書きもある)ジークフリート・クラカウアーという記者というか学者がいて、曰く

「映画は時代を映す鏡である」

とのことで、これって今現在でも充分通用する金言だと思うんだけど、同時になんだか目立たないパンチの弱い言葉だなーなんていう風にも思う。

当時はまだ新しいメディアだった映画も今は100年の歴史を経て、様々な時代を象徴するような映画が存在することを知ってる世代からすれば、映画が時代を映してるなんて当たり前でしょ。なんて思ってしまうところもある。

クラカウアー当人がこの言葉を残したのは第二次大戦直後。その著作の中で、1920年代から30年代ドイツの、ヒトラー政権樹立に至るまでのの社会ムードを、映画「カリガリ博士」が持つ不穏感から解説していったわけです。

なるほど、あの映画が持つ神経症的なガチガチの様式美と、崩れたパース、誰も信用できないストーリー。

世界が戦争へとひた走る1920年代の空気を想像することは難しいけど、「カリガリ博士」を観れば一発でその不安を体感することが出来る。

同じ20年代を描いた「華麗なるギャツビー」、こちらはうってかわって第一次大戦のあと大国へとのしあがったアメリカの狂騒と喪失。宮崎駿の「風立ちぬ」も不穏な20年代の雰囲気をアニメで表現した。でもどちらも当然20年代に制作されたわけじゃないし「時代を映した鏡」とはちょっと違う。「時代を映したであろう鏡を現代に持ってくると何が映るんだろう」といった感じか。

日本で20年代の映画というと、牧野省三とか溝口健二とか、後期になると小津安とか、レジェンド監督の名前が並ぶ。衣笠貞之介なんかは実験映画「狂った一頁」「十字路」なんかで不安感に満ち満ちたカリガリ的世界をやっぱり描いている。




■ ところで、
「君の名は。」を観てきたわけです。こないだ。
偉いだろう。

偉いだろうっていうのは、全然興味が無いというか、別にみたい作品ではなかったわけです。ただ興収120億超えとか、アナ雪超えるか、社会現象、なんて言葉を聞くとやはり勉強のために観ておくべきだな、と。

人気がある、流行ってるものを、人気がある、流行ってるっていう理由「だけで」訪れる、観に行くってすごく大事だと思うわけです。

そうは言っても貴重な時間とお金を興味のないものに使うわけですから。勇気がいりますよ。

かわいい女子とイケメン男子の心身が入れ替わって、とか正直どうでもいいし、俺がお前でお前が俺で、でしょ?山中恒でしょ大林でしょ?性器だの乳房だのあるだのないだのどうせやるんだろ?いいよ俺は性器とか乳房があるとかないとかって話は。なんて思うわけで。

内容は別にいいんです。あーそうって、はーそうって、ぼけーとしてる間に終わりますし。あーピン送り綺麗だなーとか、はー電車併走してるとこ笑うわーとか。その程度ですよ。

バイトの女先輩がスカート切られて割とけろっとしてんのとか、大人の女ってことなのか下着が黒とか紫とか、細いタバコに火をつけて「やめてたんだけどね…」なんて呟くとか、要所要所のとってつけたようなセクシャル描写がちょっと気持ち悪かったりもしたけど。

隣のカップルなんですよ、そういった内容より何より気になったのは。僕の隣に座ってた若い男女。「これだ!これこそ君の名は。だ!」と思ったんですよ。

10代後半、高校生か大学生のカップルなんだけど席に着くなり男はスマホでパズドラ。

女はRADWIMPSの曲がかかる度にコショコショ小声でつぶやき歌い出す。それがまた曲とぴったりシンクロしてる。

何回目かの鑑賞?それともアルバムを聞き込んでる?エモーショナルなシーンになると決まって隣から…カスカスッ…カスッ…カスカスッ…と歌を口ずさむ擦過音が聞こえてくる。

本編が終わって、男がまず女の子に声をかけましたよ「っていうか(劇場の室温が)寒くね?」

女が言いましたよ「感動したわー映像きれいで」

まじか、と思いましたよ僕は。後ろで聞いていて。そんな砂漠のようなやりとりでいいのかと。

男は連れられてきただけなんですよ。
で、女はRADWIMPSファン。
綺麗な映像に感動したという女と、室温が寒かった男。本当にこの二人はつきあってんのか?

男がリー・マーヴィンだったら女を平手打ちでしょうし、女がクラウディア・カルディナーレだったら男につばを吐きかけてるでしょう。

でもこの二人は仲良く会話するんです。手、つなぎながら出て行きましたから。ほんで帰りの電車でまたパズドラするんでしょう。

これ一体なんだろうと思ったんですが、すごく防御しながらつき合ってるんだなーと感じたですよね。相手の領域に踏み込まないというか。良いとか悪いとかではなく、現象というか、状況としてそうなんだ、と。

傷つかないように、傷つけないように。二人の間に幾重にも緩衝材を挟んで。優しいってことなんだとも思います。

「君の名は。」に出てくる二人もすごく防御してる二人ってことなんだと思うんです。時空を飛ばしていくつものクッションを経ないとコミュニケーション出来ない。

裏を返せばそのくらいクッションがないとこのご時世コミュニケーションなんてやってられん、ってことだと思うんです。




■ 「崖の上のポニョ」公開の時だったか、キャッチの一つの文句に「神経症の時代に」というのがあって(あった気がする)、これはかなりピンポイントで当ててきたな、と当時思った記憶があります。

少し前にクリント・イーストウッドが「ドナルド・トランプの言ってくることはクソだが、ポリティカル・コレクトを言う以外許されない今の現状を考えると応援したくなる気持ちもある」なんてことを言って炎上してました。

最近は「独裁政治」ではなく「強権政治」っていう言葉が出てきました。トランプもそうだし、プーチンとか、トルコのエルドランとか、フィリピンの大統領もそうですよね。この現象も神経症の時代ならではのように思えます。

引き絞った弓の弦の上にいるような感じなのか。ギリギリッと弾け飛びそうな緊張感と不安感を強いられてるような気がします。

そんな時に時間とお金を使ってどんな映画を観たいのか?

自由を夢見たバイカー2人がアメリカ南部の閉鎖的な人間にぶっ殺される話じゃないでしょう。でけえ鎖を振り回すアーネスト・ボーグナインと、きったねえ汗くさい服着た乞食のリー・マーヴィンが血みどろでぶん殴り合う話でもないでしょう。

前前前世で私/俺たち、入れ替わってる!?でしょう。俺の体使って勝手にホンニャラ先輩と仲良くしてんじゃねーよーくらいのもんでしょう。

そんなわけで「君の名は。」
こいつはちょっとどうかしてる一大神経症映画だぜ!
などと思いました、という話でした。









[ 2016/10/09 22:31 ] 映画 | TB(-) | CM(-)