ベスト映画2016(ソフト編)

■ 今年はバタバタ焦ってのたうち回ってるうちに今日になってしまったのであまり映画を観てない。とはいえそれはそれで、そういう状況でのベストというのも全く価値が無いわけでもないだろう、というわけで。

ベスト映画2016(ソフト編)

1. ヒメアノ〜ル
なんてことない日常のほんの隅っこがひきつってふやけてずれて、裂けたとこから狂ったものがドクドク噴き出てくる。森田の口調がいわゆる「怖がらせる」口調じゃなく、おちょぼ口でボソボソ喋ってる”ああ、確かに虐められていたのかもしれない”と思わせるリアルさに引き込まれる。43分間のアバンのあとにタイトル、というのも映画の世界観をきちんと操作できているのからこれみよがしじゃない、嫌みじゃない、必然性がある。骨がある。

2. プリズナーズ
善悪の彼岸を超えるヒュー・ジャックマン。傍観者でいるしかないジェイク・ギレンホール。怪しく弱いポール・ダノ。
カナダの新鋭、ドゥニ・ヴィルヌーヴのハリウッド進出作。この監督はすごい腕力。
延々と続く冬の雨が雪に変わって事態はどんどん悪くなる。「セブン」を思わせるけどギミック感が無いので重厚。ただタイトルがダサい。

カナダの制作陣はハリウッドのコストを抑える要員として体よく使われてた感もあったが、そのノウハウを吸収しきった今、ハリウッドでは制限がかかって久しい「作家性」が存分に発揮できる表現の場になっている。もうハリウッド映画はいらないよトロントがあれば、って時代が本当にくるかも。

3. ウォーリア
黙して語らぬ明治の男、といった演出。こういった説明を出来るだけはぶく、抑制した演出っていま流行りつつあるのかも。
じっくり盛り上げていくのでファイトシーンのカタルシスが強い。入場曲の無い、勝ち名乗りもガッツポーズも見せずに去る弟。かたや「歓喜の歌」で入場する才能はあるが優しいファイター、兄。ドラマ自体はストレートだが複層的な奥行きがある。

4. レボリューショナリー・ロード
公開当時なんだかぬるそうなメインビジュアルに加えて、タイタニックの二人が再び、みたいな売り方で観る気がしなかった。ロジャー・ディーキンスの撮影が素晴らしいとの事で観たんだが、素晴らしかった。工業化がサラリーマンを生んで、パーツ化された人間がどれだけ誇りを削り取られたのか、という残虐さ。「古き良きアメリカ」といった風景に表裏一体となって血みどろの臓物がじっとりと染み出してくる。

5. ノック・ノック
映画のはじめこそクソ女ばち当たれ、とか思ってるのにラストにかけては「キアヌざまーみろ豚やろーもっと泣け」とか願ってしまうのは演出の見事さか。
キアヌはシェイクスピア好きのインテリで、スタニラフスキーメソッドを修得した演技の秀才なんだけど、なにせバカっぽい。でクソ真面目。だから良い。土に埋めたくなるし、持ってるレコードとか家具とかぶっ壊してしてやりたくなる。
ラストの奥さんのアート作品にかかれた落書きも中2レベルのクソ最低な落書きで素晴らしかった。イーライ・ロス面白いなあ。

6. マジックマイク
疲れたから何も考えないでいいバカな映画を観よう、と思って借りたらとんでもなく高品質な青春映画だった。びっくり。こういうのがいいよねえ映画って。
チャニング・テイタムは「フォックス・キャッチャー」につながる名演。アメリカ人の心の闇である”悲しい筋肉”を見事に体言していた。南部なまりが圧倒的なマシュー・マコノヒーの残虐っぷりも怪演。

7. ルーム
鑑賞するちょっと前に「クリーブランド監禁事件」を観ちゃったせいで、これ以上嫌な気分になりたくねえなあって全然観る気がしない。ブリー・ラーソンの演技ってどんなものなんだろうって事だけをモチベーションに観たけど、案外に良い映画だった。
ディスクのプリントがハンモックで寝ている母子というのにメーカーの良心&自信を感じる。通常だったら暗い部屋に差し込む一条の光と親子の背中のシルエット、とかにする所でしょう。
子役の演技が一番良かったと思ったんだけど、あの異常な状況になるまで自分の感情をコントロールしないといけないわけで、それって児童虐待なんじゃないのかとも思った。

8. ナイトクローラー
こういったピカレスクものが一定以上評価されるわけで、ハリウッドにもまだ気概があるんだなあ、などと。悪い奴が悪いまま、ますます栄えていくっていうのが気分がいいっていのも不思議な話だけど。

9. 複製された男
カナダのドゥニ・ヴィルヌーヴが「アメリカにいったら好き勝手出来なくなるからいまのうちに」って撮った挑戦作。
つまり何を撮りたかったんだ?っていうのを誰かと話したくなる映画。醍醐味ですなあ。


10. フランシス・ハ
「ヤング・アダルト」的な、うまくいかない日常もの。焦燥感と孤独感の映像化が洒脱。面白い。スピード感もあるし。ラストカットのかわいいルーズさ。「相変わらずじゃん!」って感じで観客も仲間になる感じが良い。完成度は「ヤング・アダルト」のほうが上かなと思ったけど。
なんか洒落てんなあと思ったら監督のノア・バームバックはウェス・アンダーソン映画の脚本家だった。





《そのほか観た作品》
イット・フォローズ
スポットライト
VHSテープを巻き戻せ
フォッグ・オブ・ウォー
バニー・レイクは行方不明
ランボー
クリード
ロスト・イン・トランスレーション
沖縄決戦
王将
グッドフェローズ
日本の一番長い日(岡本版)
ガルシアの首
ブラックスワン
ルック・オブ・サイレンス
ゴーイング・クリア
アメリカン・スプレンダー
コングレス未来会議
ドローン・オブ・ウォー
エンド・オブ・ウォッチ
顔のないヒトラーたち
日本の一番長い日(原田版)
チャイルド44
カルテルランド
スーパー・ハイ・ミー
ソーク・オン・ブリーチ
ゴッド・ヘルプ・ガール
アンブロークン
007スペクター
ビースト・オブ・ノーネイション











[ 2016/12/30 17:34 ] 映画 | TB(-) | CM(-)

前前前世のやつのこと

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■ 1920年代からドイツで活躍してた映画評論家で(映画社会学者なんていかめしい肩書きもある)ジークフリート・クラカウアーという記者というか学者がいて、曰く

「映画は時代を映す鏡である」

とのことで、これって今現在でも充分通用する金言だと思うんだけど、同時になんだか目立たないパンチの弱い言葉だなーなんていう風にも思う。

当時はまだ新しいメディアだった映画も今は100年の歴史を経て、様々な時代を象徴するような映画が存在することを知ってる世代からすれば、映画が時代を映してるなんて当たり前でしょ。なんて思ってしまうところもある。

クラカウアー当人がこの言葉を残したのは第二次大戦直後。その著作の中で、1920年代から30年代ドイツの、ヒトラー政権樹立に至るまでのの社会ムードを、映画「カリガリ博士」が持つ不穏感から解説していったわけです。

なるほど、あの映画が持つ神経症的なガチガチの様式美と、崩れたパース、誰も信用できないストーリー。

世界が戦争へとひた走る1920年代の空気を想像することは難しいけど、「カリガリ博士」を観れば一発でその不安を体感することが出来る。

同じ20年代を描いた「華麗なるギャツビー」、こちらはうってかわって第一次大戦のあと大国へとのしあがったアメリカの狂騒と喪失。宮崎駿の「風立ちぬ」も不穏な20年代の雰囲気をアニメで表現した。でもどちらも当然20年代に制作されたわけじゃないし「時代を映した鏡」とはちょっと違う。「時代を映したであろう鏡を現代に持ってくると何が映るんだろう」といった感じか。

日本で20年代の映画というと、牧野省三とか溝口健二とか、後期になると小津安とか、レジェンド監督の名前が並ぶ。衣笠貞之介なんかは実験映画「狂った一頁」「十字路」なんかで不安感に満ち満ちたカリガリ的世界をやっぱり描いている。




■ ところで、
「君の名は。」を観てきたわけです。こないだ。
偉いだろう。

偉いだろうっていうのは、全然興味が無いというか、別にみたい作品ではなかったわけです。ただ興収120億超えとか、アナ雪超えるか、社会現象、なんて言葉を聞くとやはり勉強のために観ておくべきだな、と。

人気がある、流行ってるものを、人気がある、流行ってるっていう理由「だけで」訪れる、観に行くってすごく大事だと思うわけです。

そうは言っても貴重な時間とお金を興味のないものに使うわけですから。勇気がいりますよ。

かわいい女子とイケメン男子の心身が入れ替わって、とか正直どうでもいいし、俺がお前でお前が俺で、でしょ?山中恒でしょ大林でしょ?性器だの乳房だのあるだのないだのどうせやるんだろ?いいよ俺は性器とか乳房があるとかないとかって話は。なんて思うわけで。

内容は別にいいんです。あーそうって、はーそうって、ぼけーとしてる間に終わりますし。あーピン送り綺麗だなーとか、はー電車併走してるとこ笑うわーとか。その程度ですよ。

バイトの女先輩がスカート切られて割とけろっとしてんのとか、大人の女ってことなのか下着が黒とか紫とか、細いタバコに火をつけて「やめてたんだけどね…」なんて呟くとか、要所要所のとってつけたようなセクシャル描写がちょっと気持ち悪かったりもしたけど。

隣のカップルなんですよ、そういった内容より何より気になったのは。僕の隣に座ってた若い男女。「これだ!これこそ君の名は。だ!」と思ったんですよ。

10代後半、高校生か大学生のカップルなんだけど席に着くなり男はスマホでパズドラ。

女はRADWIMPSの曲がかかる度にコショコショ小声でつぶやき歌い出す。それがまた曲とぴったりシンクロしてる。

何回目かの鑑賞?それともアルバムを聞き込んでる?エモーショナルなシーンになると決まって隣から…カスカスッ…カスッ…カスカスッ…と歌を口ずさむ擦過音が聞こえてくる。

本編が終わって、男がまず女の子に声をかけましたよ「っていうか(劇場の室温が)寒くね?」

女が言いましたよ「感動したわー映像きれいで」

まじか、と思いましたよ僕は。後ろで聞いていて。そんな砂漠のようなやりとりでいいのかと。

男は連れられてきただけなんですよ。
で、女はRADWIMPSファン。
綺麗な映像に感動したという女と、室温が寒かった男。本当にこの二人はつきあってんのか?

男がリー・マーヴィンだったら女を平手打ちでしょうし、女がクラウディア・カルディナーレだったら男につばを吐きかけてるでしょう。

でもこの二人は仲良く会話するんです。手、つなぎながら出て行きましたから。ほんで帰りの電車でまたパズドラするんでしょう。

これ一体なんだろうと思ったんですが、すごく防御しながらつき合ってるんだなーと感じたですよね。相手の領域に踏み込まないというか。良いとか悪いとかではなく、現象というか、状況としてそうなんだ、と。

傷つかないように、傷つけないように。二人の間に幾重にも緩衝材を挟んで。優しいってことなんだとも思います。

「君の名は。」に出てくる二人もすごく防御してる二人ってことなんだと思うんです。時空を飛ばしていくつものクッションを経ないとコミュニケーション出来ない。

裏を返せばそのくらいクッションがないとこのご時世コミュニケーションなんてやってられん、ってことだと思うんです。




■ 「崖の上のポニョ」公開の時だったか、キャッチの一つの文句に「神経症の時代に」というのがあって(あった気がする)、これはかなりピンポイントで当ててきたな、と当時思った記憶があります。

少し前にクリント・イーストウッドが「ドナルド・トランプの言ってくることはクソだが、ポリティカル・コレクトを言う以外許されない今の現状を考えると応援したくなる気持ちもある」なんてことを言って炎上してました。

最近は「独裁政治」ではなく「強権政治」っていう言葉が出てきました。トランプもそうだし、プーチンとか、トルコのエルドランとか、フィリピンの大統領もそうですよね。この現象も神経症の時代ならではのように思えます。

引き絞った弓の弦の上にいるような感じなのか。ギリギリッと弾け飛びそうな緊張感と不安感を強いられてるような気がします。

そんな時に時間とお金を使ってどんな映画を観たいのか?

自由を夢見たバイカー2人がアメリカ南部の閉鎖的な人間にぶっ殺される話じゃないでしょう。でけえ鎖を振り回すアーネスト・ボーグナインと、きったねえ汗くさい服着た乞食のリー・マーヴィンが血みどろでぶん殴り合う話でもないでしょう。

前前前世で私/俺たち、入れ替わってる!?でしょう。俺の体使って勝手にホンニャラ先輩と仲良くしてんじゃねーよーくらいのもんでしょう。

そんなわけで「君の名は。」
こいつはちょっとどうかしてる一大神経症映画だぜ!
などと思いました、という話でした。









[ 2016/10/09 22:31 ] 映画 | TB(-) | CM(-)

FAKE



■ 森監督15年ぶりの新作「FAKE」。いやードキュメンタリーとしては異例の大ヒットですよね。
ユーロ上映としては「ゆきゆきて神軍」以来!なんていう勇ましい声も聞こえてきたり。

佐村河内さんを追ったドキュメンタリーという形になっているが、彼の耳が実際聞こえるどうか、彼に実際作曲能力があるのかどうか、そんな事は映画の本筋じゃないんだなーと分かる。

それだけに、素材として使われてしまった佐村河内さんの心中いかばかりか、なんて思ったり、
ドキュメンタリーってよくよく業の深い仕事だなと遠い目をしてみたり。

「FAKE」を観終わると、その足で誰かとその話をしたくなる、というのが定説で、それはとても良い映画の見方だなーと思う。
楽しいですよね、映画のことをぐるぐる考えて、好きな人とぐるぐる話すの。

だからリピーターが次々生まれるんだろうなと思う。「次はあの人と観に行こう」「あの人はどういう意見を言うんだろう?」っていう。

佐村河内さんの奥さん、
猫、
どこかの「誰か」の間取りに似てる佐村河内家の間取り、
連れタバコ、
名前に「さん」を付ける守さん、
豆乳、
ハンバーグ、
両親、
被爆者手帳、
取材を申し込む共同テレビDのギラギラした目つき、
必ず出るケーキ、
新垣さんのサイン会、
神本さんの表彰式、
消火器、
売ってしまったというキーボード、
カタコト記者の鋭い質問、
左手の包帯はなぜ?

どこまで行っても、どこまで顕微鏡的拡大をしても、怪しくぼやけたグラデーションが広がるばかり。




■ 森さんの作品はいつだって迷ってるのが持ち味だ。
Aもエスパーもオカルトも下山も死刑もそう。
森さん自身どこにも座れず、落ち着かず心許せず安心できず、
誰の意見もちょっと分かるが、ちょっと分からない。
立ったままウロウロと挙動不審に迷ってる。その姿が良い。思わずそこに自分を投影してしまう。

だからカメラの視点が定まらない。変な構図ばっかりだ。日本ドキュメンタリーの巨匠、原一男さんも「森監督はカメラが下手」とはっきり仰られてた。

何でって森さん自身がいつだって迷ってるからだ。構図のセンスとかじゃないと思う。森さんが迷ってるからだと思う。




■ 物理学者、ルネ・ブロンロは1903年に未知の放射線「N線」を発見したと主張した。

科学界は新発見に盛り上がったが、実はそんな放射線はこの世に存在しなかった。

眼球の中の光を受け取るシステム、桿体(かんたい)細胞と錐体(すいたい)細胞の特性からくる、光の感受性の違いから感じたまぼろしの光源をブロンロは誤解した。

薄暗い空間の中で、視界のはしに映る光らしきものを「N線だ!」と勘違いした。

すでに高名な科学者だったブロンロの主張を聞いて、幾人かの科学者は「確かに見える!」と褒めたてた。

幾人かは「どうしても見えない」と疑問の目を向けた。

STAP細胞の小保方さんそっくりだなーと思う。

幾度かの追試を経てブロンロの「N線」は存在しない事が証明された。

でもブロンロは死ぬまで「N線」の存在を信じていた。

嘘をついていたのか?
いやーこれを嘘とは言わないだろ、と思う。だって実際見えてしまったんだから。

じゃあSTAP細胞は嘘なのか?欺いたのか?
「STAP細胞はありまぁす!」が揶揄されてたけど、実際この目で見てしまったらそう言ってしまう気持ちも分かる。

じゃあブロンロと小保方さんは完全にシロなのか?
どこかで「これ怪しいかも?」と不安が頭をよぎることはなかった?
何かにフタをして隠して無い事にするなんて、そんなこと1ミリも考えたことが無い?




■ 多分はっきりとした境界があるわけじゃないんだろう。
ここを踏み越えたら「嘘」になる、なんていう線なんかない。

もやもやしてて、もやもやしてるからこそ、悲劇だし、滑稽だし、そのもやもやを言い当てようとして「FAKE」を観ては飲みにいってぺちゃぺちゃ盛り上がってしまうんだろうなーと思うわけです。














[ 2016/08/06 18:46 ] オススメ | TB(-) | CM(-)